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ハニワの里


 今年も私はハニワの里にやって来た。夕陽の色の野原には、顔見知りの猫が一匹。中秋に満ちた月が日に日に欠けて終に消え失せるこの夜、ハニワは少しだけ成長するのだ。そっと座ると夜半を待った。
 
 午前二時、天の川がもっとも低く垂れ込めるころ、ハニワはそっくり返る。うつろな口で夜空を吸いこむ。銀河が降りてくるさまはまるで渦巻くシャボンのよう。無心に呑み込みやがて星でいっぱいになる。それでも吸うのをやめない。
 きしきし。きゅっきゅっ。
 星が鳴る。内側からハニワを押し広げる。ハニワの目と口がぼうと光って、その瞬きが私を満たす。
 
 空が白みはじめるころ、星は天へ還ってゆく。さかさまの滝のようにそれは果てなく流れ続ける。
 やがて差す朝陽、それはとても冷たい光。猫がためらいがちにひと声鳴いたが、ハニワはもう動かなかった。
 
 
 
井戸男


 丸い小さな空が真っ青で、井戸の底にも春がひたひたと満ちている。井戸男はすこぶるご機嫌だ。鼻歌まじりで水面を探り、木札をひとつ取ると墨痕みごとに句を綴る。
 
 はるのそらわたしをほしてみたくなる
 
 そしてまた木札を浮かべる。墨が流れてしまう、という事を彼はいつも忘れてしまう。 
 壁面には暗緑色の苔が密生している。可憐なベティの黄いろの花弁、またたく光は珠の露。高みに咲くその花を彼はベティと呼ぶのだ。その下方に蝸牛が一匹。
 
 したたれるつゆまちがおのかたつむり
 
 とつぜん壁掛け電話が鳴り、ベル音が轟々と渦を巻く。彼は聞こえないふりで、だが内心どきどきして。二十回きっかりでベルは止む。彼はほっと空を仰ぎ−−そして人が降ってくる。いちめんの飛沫、激しく揺れる水面。若い女だ。髪は濡れて蒼くひかり、金のサークレットは朱く染まって、そしてその美しき頬。水中で白のドレスがゆらゆら揺れる。木札を掴むと井戸男は一句。
 
 あかときんのいのちちらずばよまれまい
 
 女は微笑ったように見えた。沈んでいく。彼は素早く「じあまり」と書き足すと女の手にその木札を握らせる。やがて女は見えなくなり、そして女もいま詠んだ句も彼の記憶から消えた。…井戸男はとってもご機嫌だ。
 
 
 
資産家の生涯


 一家は莫大な富を所有しており、多少の失敗で損なわれることはない。少年のころは富が当たり前だった。思春期に反抗した。ギャングをまねた服装で、ストリートに仲間を求める。が、素性が知れるや、あからさまな媚び、ナイフのような妬み。しだいに一匹狼になる。だがそもそも、仲間を求めてワルになったのではなかったか。
 
 二十歳で足を洗い、家を出る。だが一家は有名なのだ。少年期と同じことがくり返される。住所を転々とする。
 
 やがて家に帰る。親の決めた相手と結婚する。女をはべらせ、スポーツカーを乗りまわし、毎夜宴を欠かさない。だが目が死んでいる。その目を見て、当主は代を譲ることを決意する。
 当主に就任する。付きあう相手はがらりと変わるが本質的には同じことだ。ハーレムを造り、店ごと買い占め、自家用ジェットでリゾートをまわる。口元のシワが目立ってくる。 
 
 とつぜん贅沢をやめ人を遠ざけ、質素な離れで暮らしはじめる。誰かに訊かれると「おれの分は終わった」と言う。理解者は誰もいないがどうでもよい。やがて代を譲り余生を送り、死ぬ。生涯使った金額は、総資産においては掠り傷にもなっていない。
 
 
 
切腹道


 辰彦は毎朝腹を切る。そうすることで一日中、心がしんと澄むのである。
 髭を剃るとすぐ庭に出て行うのだが、今朝は手順がわずかに遅い。昨夜娘にさんざん叱られたことを思い出していたのだ。彼ほどの達人でも、やはり娘は気になるとみえる。
 
 昨日、その娘・麻里亜が彼氏だという男を連れてきた。好奇と不安が斑にちらつく、そんな畏敬の眼をしていた。
「あの」男はやや身を乗り出した。「麻里亜さんからお聞きしたのですが、毎朝かかさず腹をお切りになっているそうですね」
「ええ。それがなにか」しかし最近の若い奴ら、どいつもこいつも薄そうな腹をしている。 
「あ、いえ。とくに何ということはないんですけど、じつは死の文化にとても興味があって。麻里亜はやめてって言うんですけど」
 舌がそこまで動いたとき、音もなく首筋に刃が触れている。床の間の脇差がいつの間にか辰彦の手に。そうしてイタズラっ子のようにニッと笑った。
 あげく男は逃げて帰った。
 まるで昔の、辰彦自身のように。
 
 亡師は言う。死は文化でも、表現でも無い。悲でも恐でも美でもなく、重さ軽さもありもせず、神仏天国地獄もない。では、死とは何か。
 
「死は、死だ」
 そう低くつぶやくと、素自然の所作で彼は十文字腹を切る。
 
 
 
最期の微笑


 かさついてシミだらけの肌。息は浅くそして早い。病院のベッドで、ィアズムは死にかけている。老人のむさい髭を剃ってやる家族はなく、看護婦は人手が足りない。
 
 マフィアの連合が牛耳るこの国だが、その中でも指折りの、とある一家には昔から奇妙な風習がある。男子は物心つくと、あらゆる罰を受けるのだ。それは将来犯す罪への罰であり、その苛烈さは、むざむざ死なせる事さえあるほどだ。儀式を経るとその者は、もはや良心の呵責を感じない。もう罰は済んだのだ。彼は罪に生き、多くは天寿を全うしない。
 
 だが、ィアズムの死因は老衰だった。
 午(ひる)過ぎの海が凪ぐように、彼の呼吸は静かになる。一言つぶやき、微笑って逝った。
「冤罪だ」
 
 
 
斜視


 左の瞳があちらの世界へずれていて、そっちでは時間が逆に流れている。この俺の老年期から、まるでビデオの逆まわしみたいに。
 俺は産まれた一瞬、左目に死を見たはずだ。その情景は覚えていない、物心つくまえのことさ。
 
 ある夜、女と出会い、そしてベッドを共にした。隕石のはやさで左右が近づき、絶頂でひとつに融け合い、やがてすれ違った。
 
 それが人生、最高の女。もう二度と出会えない。
 
 
 
衛兵レディオ


 消灯時間。僕は短波ラジオのイヤホンを耳にねじ込み、チューニングを合わせる。看護婦には内緒だ。その局は日本語だが、かすかに異国の訛りがある。衛兵レディオ。世界中の衛兵たちを実況放送している。アナウンサの声に抑揚がなくても、僕の頭にはありありと情景が浮かぶ。
 いまアテネの戦没者墓碑では、純白の民族衣装の衛兵が、音楽とともに足を振りあげ行進する。歓声が上がり、しきりにフラッシュが焚かれる。同時刻、ワシントンDCの白い墓碑のまわりには、濃紺の制服に黒サングラスの衛兵が十九人、ライフルをかつぎ屹立している。粉雪が舞う。
 
 たぶん、ふつうの健康な人たちは、英国・バッキンガム宮殿のそれのような、華やかな衛兵交代式を好むのだろう。でも僕は兵たちの意志をおもう。静。それが美しいのだ。このアナウンサは、そこのところがよく分かっているとおもう。
 
 モスクワでは雪が吹きつけている。スパスカヤ塔からレーニン廟へと向かう引継が、高々と足を振りあげる。トルコの首都アンカラで、英雄アタチュルクの廟を守る強者たち。まばたきすらしない。
 
 白く、薬臭い布団のなかで、誰よりも、僕は彼らを知っている。
 
 
 
暑中見舞


 アパートにラクダ繋がれ大家カンカン。ターバンの男が、ぼくへの暑中見舞として置いていったらしい。すぐアブラダに電話した。
 あんなのいらない。早く引き取ってくれ。
 ああ。でも家畜と親しむのもラーハだからね、と彼は答えた。祈り、読書、友を訪ねること。仕事でも遊びでもない、自分という存在のための時間。それがラーハだという。じき分かるさ。電話が切れた。だが人を威嚇しツバ吐く野獣をどうしろと? 困った男だ。大家に頭を下げるこちらの身にもなってほしい。
 
 夜、彼がやってきてラクダによッと跨った。誘われるままうしろに乗った。鞍の上はすごく高く、星空に目を転じると三日月。海辺を散歩する。ラクダはひどく大人しく、潮騒の浜に二列の足跡を刻み、ざっくりざっくり、どこまでも歩いてく。「あ」。とつぜん心に風が吹き、ぼくもふわり、風になった。雲をも越えてはてしなく、ひょ〜ンと飛んでいける気がする。これがラーハか。ありがとうアブラダ。でもラクダは連れて帰れよ。
 
 翌日帰宅すると、大家が羊と。ンメェエ。
 いいかげんにしろ。アブラダ。
 
 
 
ことり


 心臓が逃げ出す夢から目覚めると、胸のあばらが鳥かごになっていた。白い小鳥が一匹、中でバタバタ慌ててやがる。俺は一声鳴いて舌なめずり。うまそうだ。だが食べるには自分のあばらが邪魔だった。
 身体をいろいろ曲げてみたり転がったりしてみたが、さほどスキマは変わらない。出し入れ自在の俺の爪だが、それが付いてる前肢は内に曲がるようには出来ておらず、脇腹を掻くような動作をどれほどくり返しても中の小鳥には届かない。
 
 とりあえず諦めた。
 俺には日々の暮らしがある。
 
 最近は夜、俺がミャアと鳴いてそっぽを向くと、ピイと返し、安心して目をつぶるようになった。で、その寝顔がなかなか可愛いのである。美味しそう、とはなるべく考えないようにしている。だがどうもヒゲの先がチリチリしてしょうがない。俺はつぶやく、いつかこいつを。
 
 眠りに落ちるとまた心臓が逃げ出す夢だ。
 てめえ独りでどうにかなんのか。ちっちっ、勝手にしやがれ。
 
 
 
オムレット


 美容院がダメだった。
 入ってくるからね。
 そりゃあ若い女性の美容師で、さわっと胸が触れたりしたら嬉しいんだけれども、入ってこられたとき思わずアっと声を出しちゃって、それがオトコの美容師でしかも笑われちゃったりすると、もうダメで。だから自分で髪を切ったりしていたんだけれども。なんか寂しくなっちゃって。
 そう、そうやって掻き分けて入ってきてよ。ずっと奥まで、ゆっくりと。ぼく知ってるんだ。美容師のためのひみつの入口。そこから入るの。からだの毛はぜんぶ心臓からはえてるから、どっくんどっくん、波うってる、調節、しなければいけないんだ。ほそい冷たいゆびで、あそこをもみほぐされるように、きもちいいんだ。どっくん、どっくん。でもこわかった。しらないぼくになりそうで。いやだった。でもいいんだ。きめたんだ。ゆうきをもって、しっかりとりょうめをあけて、ぼくはいっぱい、いっぱい、かんじたい。ああ。だから。
 
 ねえびようしさん、こんどいっしょに
 おむれつ
 たべにいきませんか?
 
 
 

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